07 5月

「政治家育てる当事者意識持とう」・・有権者の投書から

【有権者が政党、政治家を育てる気概もとう・・朝日新聞の投書から】

 

昨日(6日)の朝日新聞で、政治家と市民との関係について問う投書が掲載されています。この方の投書では、憲政の父、尾崎行雄の言葉を引き合いにだし、「約70年前、尾崎は明治憲法下で真の政党政治が実現しなかった理由について、『利害や感情によって結ばれる親分子分の関係と同型の私党はできても、主義・政策によって結ばれ、国家本位に行動する公党の精神はどうしても理解できない』と喝破した」「同時に尾崎は『頼まれたから、金をくれたから、義理があるから』一票を入れるという有権者の姿勢も厳しく批判した。『川上の選挙が濁れば、川下も濁る』」「政党や政治家に対する批判が、そのまま我々有権者に跳ね返る。政治を傍観し嘆くだけでは何も変わらない」「政党も政治家も我々の手で育てあげるというくらいの当事者意識が求められている」と結んでいます。

 

【結城りょうの視点・・政治家も有権者も自立する気概を】

 

この方の投書を読んで、私も同じ問題意識をもちます。今の安倍総理をめぐる森友、加計疑惑に象徴されているように、政治家の役割とは、税金や国民の財産を、自分を支持する有権者、支援者の利益になるように「引っ張ってくる」ために、官僚、役人をうまく使いこなすことが、実力のある政治家の役割のようになってしまったことが、政治の堕落だを引き起こしていると思います。政治家の周辺には利権をもとめる有権者がむらがり、政治家は自らの選挙地盤、権力基盤を強化するために官僚、役人を使って利権誘導を制度化する。マスコミも権力者の「提灯持ち」をすることで、利益を得る。ここに利権と汚職、権力を私物化する政治家を「良し」とする政治の堕落が起こるのではないでしょうか。今日の日本はその意味でも、国家戦略などなくなり、「その日暮らし」の政治が横行してしまったことが、今日の日本の姿ではないでしょうか。

政治とは本来、国民生活の安寧、国家の平和と安定を実現するためのものであり、国会議員も地方議員も国民、住民の代理人として議会に選出されているわけです。私はそのために何をしなければならないのか、適切な言葉がみつかりませんが、政治家も有権者も自立する社会を政治の責任でつくらなければならないでしょう。尾崎行雄の言葉をかみしめたいと思います。

06 5月

「若者の○○離れ」ではなく、「お金の若者離れ」こそ問題だ

【右肩上がりの経済成長の時代とは真逆の今日が原因】

 

昨日(5日)の朝日新聞投稿欄に、20歳の大学生の投稿が掲載され、大変興味深い内容です。そのなかでは「若者の車離れ」「若者の旅行離れ」などという言葉が存在するが、メディアはその原因を若者の意識の低下のせいだと指摘しているが、果たしてそうだろうか」と疑問を呈し、投稿者は「根源にあるのは『お金の若者離れ』ではないだろうか。国税庁の2016年分民間給与実態統計調査によれば、20代前半の給与所得者の平均年収は258万円とのこと。月々の家賃や水道光熱費の支払いに加え、奨学金(大学のローン)の返済がある人もいるだろう。このなかでやりくりし、私たちに支払われるかどうかわからない年金のことを考え、貯蓄に回す分を含めると、思うように使えるお金はほとんど手元に残らないのではないだろうか」と主張されています。「今なお、右肩上がりに経済が成長した時代の感覚で物事を考えている人から、『最近の若者は夢がない。欲がない』と言われるのはうんざりだ」としています。

 

【結城りょうの視点・・雇用、所得、社会保障など政治の責任で社会の再構築を】

 

この投稿は現在の日本社会の構造を考えるうえで、示唆に富む内容ではないでしょうか。現在は5600万強の雇用労働者のうち、40%が非正規雇用。雇用と年収が安定せず、さらにはせっかく学校を卒業して正社員として就職できても、そこはブラック企業だったということは今日では、もはや普通のことです。社会経済環境では、インフレと年々引きあがる税や社会保険料などの国民負担は増すばかりです。そして大学時代の奨学金ローンの返済が40歳から50歳まで続くわけです。たしかにこれでまともな結婚生活ができるのか、自動車の購入や、旅行などを「優雅」にできる社会かといえば、とてもそうだとは言えないでしょう。

今の日本社会、日本経済と健全に立て直すには、非正規雇用から安定して働ける正規雇用が当然の社会にもう一度立て直すこと、勤労者の可処分所得を増やして、消費購買力を向上させること。医療、年金などのセーフティーネットを強固な制度に再構築して、安心して働ける社会を保障すること。そうすれば必然的に消費も上向き、結婚して家庭をもつ人たちが増えるでしょう。日本の企業は1995年以降、「新日本的経営」を思考した経営スタイルになり、行政や政治もそれを後押してきました。ここを政治の責任で改める以外に、この投稿者の悩みに応えることはできないのではないでしょうか。ちなみに95年当時、「新日本的経営」を一番主張されていた経営者の方も、今日では一定の「反省」をしています※。

※昨年12月17日付ブログ「宮内義彦氏(オリックス・チェアマン)が、今日の株主優先の経営手法と、資本主義のあり方を反省(朝日新聞)」参照

結城りょう

04 5月

府中市の学校給食について・・栄養があっておいしい給食提供を(2018年5月4日付ブログより)

【新給食センターの学校給食の味と中身・・不評な声が聞こえる】

 

先の2月の市議会一般質問において、他会派の議員の方が、学校給食の評価の件で質疑をされていました。府中市では昨年9月に、新学校給食センター(朝日町)が開設後、新センターで作られる学校給食の評価の点について、多くの議員に声が多数よさせられているようです。この議員の方は一般質問のなかで「子どもたちから思いかけず、『給食がおいしくなくなった』との声が届いた」「今まで自校方式(個別の学校で給食場を設置している学校)の学校で、給食を食べていた児童からのものであり、その中には学校給食が嫌やで、『登校したくない』と話した児童に、戸惑いを隠せませんでした」とリアルな子どもの声を伝えていました。さらに「(この議員の方)独自の調査をした結果、とくにこれまで自校方式の給食を食べていた児童から、『以前と比べておいしくない』との意見が多かった」と話していました。またこの方の独自アンケートでの声のなかで「まずいものの多くは、スープが薄味、野菜の味が強いなど、汁物が不評、うどんが伸びている」「サラダのドレッシングについて苦情が多かった」「食器については、洗浄が悪いのか汚いから食欲が進まない、食器が食欲を落とす青色なので気になる」という児童の声を紹介していました。

 

【結城りょうの視点・・民間委託の弊害を食育発達の点から克服させよう】

 

私はこの質疑を聞いていて「やはりそうか」という感想をもちました。私も小学生のころ、学校給食は自校方式で、今思い出すと大変おいしかったような気がします。実はこの3月、新学校給食センターでつくられた給食をいただく機会が庁内であったのですが、確かにスープが薄味で、野菜の具もしなびれているような感想をもち、「正直、今一つだな」という感想をもちました。

新給食センターでは調理について、民間企業に委託しています。なにしろ市内すべての小中学校の給食を一斉につくるのですから、効率を最優先にして、どうしてもレトルト系の中身が多くのなるのではないでしょうか。

質疑をされた議員の方も主張していましたが、今後は地産地消で地元で採れた野菜を積極活用する、サラダなども地元企業から購入するとか、市内には農業高校や農工大学もあるのですから、こうしたとこで収穫された野菜を活用するとかも大事だと思います。どうしても民間委託は採算と効率性を優先するあまり、おいしさは二の次になる傾向があるのではないでしょうか。この民間委託の弊害を、子どもたちの食育発達の点から克服させなければなりません。今後は子どもたちの食育発達のためにも、日本一おいしくて栄養価の高い、給食センターを実現させるために、議会でも改善を求めたいと思います。

※私のブログをご覧になった方で、府中市に対するご意見、ご要望、苦情また情報など、また新型コロナ関係でのご要望などありましたら、お気軽にメールをお寄せください。 アドレス   yuki4551@ozzio.jp

02 5月

地方議員年金、復活探る与党・・国民からの信頼が大事ではないか

【今朝の東京新聞1面トップ記事から】

今朝(2日)の東京新聞1面トップで、与党が地方議員年金を復活させるための法案提出をしている動きに対して、小泉進次郎氏ら若手代議士が反対しているとの記事が掲載されています。2011年に地方議員年金が廃止された同制度ですが、自民党は地方議員のなり手がいないことを理由に、今回議員立法として提出しようとしています。財源構成は半分が議員、半分が地方自治体が負担し、年間約200億円の自治体負担生じるとあります。

【結城りょうの視点・・議員年金制度復活に反対する世論の背景に、政治家不信がある】

 

全国各地の地方議会で地方議員年金復活を求める意見書が、可決されており、府中市議会でも自民党市政会が提出し、可決されています(共産党は反対)。私も以前ブログで数回記載しましたが、「現在、国民に対しては年金をカットするだけカットしておいて、議員だけお手盛りでなんだ!」という国民感情が生じるのは、当然のことだと思います。とくに今日における政治家の不祥事を見ると、国会議員や地方議員など政治家は、国民から尊敬される対象ではなく、むしろ軽蔑される対象ではないかと思うわけです。昨今の地方議員の政務調査費の悪用や、ぬるま湯の地方議会体質などと批判されることからも、国民感情として反発される土壌があると、私は思います。

くれぐれも特権的な議員年金制度などと批判されないために、全国の地方議員一人ひとりが、議員という立場を「特権」的なものと考えることなく、市民のために汗を流して、市民が幸せに生きる社会をつくるために日々頑張ること。それが地方議員に対する信頼につながり、議員年金制度も認知されるのではないかと考えます。 結城りょう

06 4月

私たち一人ひとりの無関心。それこそが民衆の敵・・市民目線の政治、実現問う

【朝日新聞の報道から・・テレビドラマ「民衆の敵」が地方議会に発したメッセージとは】

 

昨日(5日)の朝日新聞22面に地方議会をテーマにして、昨年10月から12月にかけてフジテレビ系で放送されたテレビドラマ「民衆の敵、世の中おかしくないですか」を題材に、地方議会を活性化する方策についての考察記事が掲載されています。ドラマ「民衆の敵」では、一人の主婦が市議から市長になる物語で、地方議会の活性化を問う内容となっています。記事のなかで同ドラマを作成した草ヶ谷大輔プロデューサーは「地方政治に関する話題と言えば、カネ絡みの不祥事やセクハラなど問題ばかり。どうして市民目線の政治が実現しないのかを問いかけたかった。地方議会は私たちの生活に密接にかかわる問題を具体的にあつかいます。舞台にする意味はあると考えました」と語っています。さらに議会のなか問題として「議会で十分に政策論議がなされず、会派や党派の大小で決まってしまう。我々の声は届いてるのかと」「普段の生活で不便や不満を感じることのほとんどの政策づくりに、議員や議会がかかわっているのですね。ドラマでも『子ども食堂』づくりに奔走するシーンがあり、『そういうことを実現するのが市議会なんですね』という感想もありました。また草ヶ谷さんは「議員から市民に近づいていって、いま何が起きているのかを伝えるべきです」とも語っています。

 

【結城りょうの視点・・行政側の提案に議会側が緊張感をもって臨んでいるのかが問われる】

 

この記事を読んで思ったことは、地方議会ではこの記事にもあるように政党会派の大小も左右すること。また地方議会の場は、ひとつ間違うと「なれあい」の場になる可能性があるのも事実だと思います。私自身も危惧するのは、多くの地方議会では共産党以外の政党会派が事実上「オール与党」状態になっており、行政側の提案に対して議会側が異議を唱え、否決するということはほとんどない状態です。ここに地方議会独特の「緊張感のなさ」が生じて、記事にあるように議員の不祥事(政務調査費の悪用など)を生む温床も生まれるのではないかと、私は危惧します。

もちろん私は市民、住民をいたずらに分断して地方政治に「無用」な対立を持ち込むことを、奨励するわけではありません。しかしながら、せめて首長選挙をめぐっては複数候補者による「競争」は必要ではないでしょか。「市の繁栄についての政策の方向性」「市民のための市政とはどうあるべきか」など、首長を選ぶ場における政策の「競争」がなければ、地方議会においては良い意味での緊張感は生まれないと思います。

このドラマの最終回では主人公が「私たち一人ひとりの無関心。それこそが民衆の敵」だというセリフがあるとのこと。私もそう思うと同時に、市民のみなさんを無関心にさせないために、議員として日頃から何をなすべきか、もう一度深く考え、行動したいと思います。続きはまたいずれ、記載させていただきます。

結城りょう