04 3月

府中市の男女共同参画センターの愛称が「フチュール」に決まりました

 3月1日付「広報ふちゅう」では、4月1日から「スクエア・21・女性センター」から名称が変更する男女共同参画センターが、市民の方から愛称を募集した結果、審査の結果、「フチュール」に決定したと掲載しています。

作品の意味・・「フチュール」は、フランス語で未来を意味して、未来の男女共同参画社会の実現にむけて活動すること、府中と発音が似ており、市民に親しみやすい施設になることをイメージしたとしています。

男女共同参画都市宣言もある府中市ですが、男女参画社会にむけて、より新しい時代にふさわしい施設として、市民のみなさんから親しまれ、活用されるセンターになることを期待するものです。

※1999年(H11年)11月3日に制定された「男女共同参画都市宣言」

わたしたちは、歴史にはぐくまれたふるさと府中を誇りとし、性別を超え、世代を超えて、互いに人として尊重し合い、共にいきいきと輝くまちをつくり続けるために「男女共同参画都市」を宣言します。

1 わたしたちは男女が共に社会のあらゆる分野に平等に参画するまちをつくります
1 わたしたちは一人ひとりが自立し認め合い心豊かに暮らせるまちをつくります
1 わたしたちは職場・地域・家庭において男女が共に責任を分かち合うまちをつくります
1 わたしたちは国際社会の一員として平和を愛するまちをつくります
平成11年11月3日
府中市

14 2月

市議会議員によるセクハラ、パワハラなどの相談に対応できる仕組みを整備(国立市議会)

今朝(2月14日)の読売新聞多摩版に、「国立市議会は、市議による不正、セクハラ、パワハラなどが疑われる事案を把握した場合に、議長が弁護士に相談できる仕組みを整備する方針を固めた」としています。「新たな仕組みでは議長は市議の不正を告発するメールなどを受け取ったさい、弁護士の法的な助言を受けながら、真偽を確認できるようになる。事実と確認できた段階で、市議会で対応策を議論してもらう」とあります。
記事にもありますが、国立市議会では昨年6月以降、市議が特定業者に有利となるよう取り計らったなどとする2通の匿名メールが届いたが、その後の議長の対応に不備があり、疑惑をかけられた市議に謝罪するという事例があったとのこと。こうした経験もふまえ、今回弁護士に相談する仕組みを取り入れたとのことです。国立市議会では、新年度予算案に「法務的知見者謝礼」として10万円を計上したとのことです。

こうした議員の不正を告発するケースは、今後大きく増えるのではないかと思われます。特に市の職員から見ると議員からの言動は圧力にもなりえます。府中市議会でも検討する必要があるのではないか思います。
結城亮(結城りょう)

13 2月

府中市パートナーシップ宣誓の取り扱いに関する制度を、4月1日から実施決定

先日、府中市から「パートナーシップの宣誓に取扱いに関する制度の実施について」という報告が、議会にありました。昨年の府中市議会の9月議会の同制度の実施を求める陳情が市民の方から提出され、全会派一致で採択、12月議会では市から同制度の宣誓の取り扱いを行う趣旨の報告もあり、今回、市は同制度の宣誓を、4月1日から実施するとしています。

趣旨は「東京2020オリンピック、パラリンピックの開催などを契機として、一人ひとりが互いに人権を尊重し、多様性を認めあう共生社会の実現をめざし、一方は双方が性的マイノリティーである2人の者について、パートナーの関係にあることを証明するパートナーシップの宣誓の取り扱いに関する制度を実施するものです」としています。

この制度実施については、市民の方から91件のパブリックコメントがよせられたとのことです。
実施は今年の2月下旬を目途に要綱を定め、今年の4月1日から実施するとしています。
詳細は要綱を定めたのちに、市のHPでも記載されると思いますので、ぜひご覧ください。
多摩26市のなかでも先駆けてパートナーシップの宣誓に関する取扱いが実施される府中市。今後は、同制度の宣誓実施について、その運用改善もぜひ議会で求めていきたいと思います。
結城亮(結城りょう)

16 1月

府中市議会議員の研修で、国立ハンセン病資料館を見学しました

今日(1月16日)午後、府中市議会議員の研修として、東村山市にある国立ハンセン病資料館を見学に伺いました。研修ではハンセン病の歴史、我が国でも昭和6年(1931年)にすべての患者の隔離をめざした「らい予防法」が成立したもとで、ハンセン病患者の方々が人里離れた場所に作られた療養所に隔離生活された歴史をあらためて認識しました。

 

しかし戦後はハンセン病について、戦後有効な薬も開発され、治療法も確立しましたが、依然として患者の隔離政策は続きました。そして1996年(平成8年)に「らい予防法」が廃止され、患者の隔離政策は終止符を打たれました。しかしその後も、ハンセン病患者の方々の様々な苦悩を、あらためて知る思いをしました。

私はハンセン病患者としてまず頭に思い浮かべる方がいます。それは、ハンセン病違憲国賠訴訟原告団全国協議会長代理の谺(こだま)雄二さんです。谺さんは2014年に亡くなられましたが、2004年1月に開催された共産党大会での代議員発言が多くの仲間に感激をあたえました。

 

私は実は今日、ハンセン病資料館を初めて見学したのですが、私の感想を一言にするならば「一人ひとりのハンセン病患者の方々の、懸命に生きた証しがしっかりと刻み込まれている施設」という気がします。そして国による不当な「隔離政策」で命を閉じられた方々の生きた歴史、人生の足跡は、今日に生きている私たちにしっかりと伝えられていることを、私は感じずにはいられませんでした。

結城亮(結城りょう)

 

 

07 1月

年頭に思う 府中で出会ったあのベトナム青年労働者はどこに・・入国管理法改定に思う

【ベトナム青年労働者に対する過酷な労働、人権侵害】

 

私も府中市の市議会議員になってから多くの生活相談を受けるようになりましたが、印象に残っているのが件あります。それはベトナムの若者でわが国に就労に来ていた青年です。このベトナム青年は母国では貧しい農家の息子さんで、本国に送金もしながら日本の建設会社に従事されていました。しかし、その労働の厳しさと生活環境の苦しさ、また賃金の低いこともあり、「今の環境から逃れたい」と市民の方を通じて私に相談がありました。私は自身が会員でもある、日本ベトナム友好協会の通訳の方にご協力いただき、このベトナム青年と直接話を伺いました。

相談内容は、勤務している建設会社の過酷な労務管理の実態告発、また賃金があまりに安く、母国に送金すると、手元にお金が残らないことでした。このベトナムの青年はその後務めていた建設会社を辞めて、どこかに行ってしまったとのことです。私は昨年の臨時国会で入国管理法改悪の問題が国会で審議されていましたが、外国人技能実習という何の外国人労働者に対する人権侵害の実態が暴露された際、私は真っ先にこの件を思い出しました。

 

私はベトナムという国に憧れを抱いています。古くは中国、フランスの侵略から撃退し、あのベトナム戦争(抗米救国闘争)では大国アメリカを撃退し、南北ベトナムを統一した、その民族独立の気概に驚嘆し、尊敬の念をもっています。そしてベトナム労働党(共産党)を指導した、ホーチミン主席に心酔しました。2013年の8月にはベトナム戦跡ツアーにも参加して、ベトナムの地を踏みしめたこともあります。私が通訳の方を通じて、「ベトナムの自主独立の歩みと、ホー主席を尊敬しています」とその青年に伝えると、とても嬉しそうな顔をしていたことを今も覚えています。

しかし現在のベトナム青年が我が国で過酷な労働、人権など無視されて働かされている状況を天国のホーチミン主席が見たら、どう思われているでしょうか。

わが国ではリストラによって勤労者も、そして、外国人労働者も使い捨てにされている実態であります。これを正すのが政治の責任であり、共産党の任務であると、私は実感しています。

結城亮(結城りょう)