30 11月

年金者組合府中支部が展覧会・・市民協働と市民自治を実践するために

今日は午前中から赤旗拡大行動、市役所と一般質問の打ち合わせ準備など。さて年金生活者の生活と利益を守る組合、年金者組合府中支部では、3日間にかけて展覧会を実施しています。会員のみなさんによる様々な作品展示会(手芸、写真、絵手紙など)で、楽しい催し企画となっています。

話は少しそれますが、府中市は行政と市民が共に手を携えて、街づくりや市民サービスを充実、発展させようという方針を打ち出しています。それは従来の市民、住民が行政から一方的にサービスを求めて、受けるという姿から、市民や民間も積極的に住民福祉サービスや、街づくりのあり方に参加しようという考えです。そのために府中市では2年前に「市民協働都市宣言」を制定しています。私は「公助・自助・共助」のうち、「公助」という部分が希薄になり、「自助」と「共助」という部分が強調されることに対しては、多少懸念を覚えますが、一方で市民のみなさんが行政に対する意識を育み、そこから「市民自治」(市民が行政を監視、能動的に行政を動かしていく)のあり方が、府中市に根付くことを期待しています。

そこで私は、民主的な運動団体も市民、住民の声をうけとめ、これを実現させるために行政に対して運動、要求するのは当然として、同時に行政のなかに自らも参加、貢献しながら、「市民自治」を府中市民のなかにも、育んでいくことが重要ではないかと考えています。今後私も議員として、市民協働の有り方について、行政に対して要望もして、実践もしていきたいと考えています。%e6%96%b0%e5%a9%a6%e4%ba%ba%ef%bc%91

27 11月

府中市消費生活展・・市民協働を市民が主体的に行う

今日は赤旗拡大行動、また午後には府中市消費生活展(府中グリーンプラザ分館)を見学してきました。今年のテーマは「2016足もとから見つめよう!地球といのち」。さまざまな目的を持つ市民運動団体のみなさんによる、日頃の取り組みの成果を展示する催しものです。「学校給食を考える市民の会」をはじめ、生活クラブ生協、府中かんきょう市民の会をはじめとするエコ関係の市民団体など、様々な目的をもつ運動団体が、府中の街をより良い街にするめに、市民の立場から運動している団体が展示をしています。私は、行政が市民運動団体のみなさんの知恵とエネルギーを引き出すこと、そのための環境づくりを行うことは、市民自ら主体的に市民協働を発展させるためにも、重要だと思います。主催は府中市消費生活展実行委員会。%e6%b6%88%e8%b2%bb%e8%80%85%e5%b1%95

19 11月

大学生に給付型奨学金制度を実現を!

今日(19日)の東京新聞朝刊には、「誰もが安心できる奨学金を」、「給付型求め、大学生らが国会デモ」・・との記事が掲載されています。紙面では、昨日(18日)の夜、国会正門前で開催された緊急集会の様子を伝え、「奨学金を受けている大学生らが、政府の検討する給付型奨学金の対象者は七万五千人にすぎず数%の学生しか救えない。本物の奨学金をなどと訴えた」とあります。この集会を開いたのは、首都圏の大学生のグループ「Rights to Study」で、十月に十五人で結成。記事では「都内の美術大四年の女子学生(22)は月九万五千円の奨学金を借り、卒業後に利子を含め五百七十万円を返済しなくてはならないと語った」、「都内の私立大三年の男子学生(20)は卒業後三百万円を返さなくてはならない。日本は学費が高く、奨学金も利子までついておかしい。本当に困っている学生に給付されるように規模を広げてほしい。誰もが安心して使える本物の奨学金にしてほしいと訴えた」とあります。

私は1989年に都内の私立大学に進学しましたが、1年と2年時は新聞奨学生として、新聞販売店に住み込みで働きながら大学に通いました。自身で入学金と学費を負担しましたので、この給付型奨学金制度の創設については、特別に思うところがあります。1989年当時の経済状況は、バブル経済絶好調の時代。1989年12月の日経平均株価がなんと、39000円近くにまで値をつけました。こういう時代でしたので、当時の大学生には、教育ローンを借りて学生をしていた方は、今ほど存在しなかったと思います。しかし今日では大学生の2人に1人が教育ローンを借りて大学に通っているとのこと。新聞記事にもあるように、社会にでて借金を背負いながら働くのは、本当に過酷なことです。若者は日本の未来の宝です。給付型奨学金は、投資的経費として充実するべきと考えます。国会ではもちろん、地方議会でも、この給付型奨学金制度の実現を求めていきたいと思います。

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18 11月

府中市の中心市街地活性をどうするか・・富良野市の取り組みから学ぶ

今朝(18日)はJR北府中駅前であいさつ、さて共産党府中市議団では、14~15日にかけて、北海道の旭川市と富良野市を視察しました。今回の視察のテーマは、「中心市街地活性化とまちづくり会社」についてです。府中市では20年をかけ、府中駅前の再開発事業を推進。1996年に伊勢丹とフォーリスを、2005年に「くるる」、さらに来年7月スタート予定の第1地区の完成で終了します。しかしながら現在の状況は、先日、伊勢丹府中店が2年以内に縮小・閉鎖の発表があるなど、再開発事業が成功しているとは言えない状況。そこで府中市は「中心市街地活性化計画」(中活)を策定し、特定目的会社として『まちづくり会社』を設立する計画です。こうしたなか、共産党市議団では、他自治体の市街地活性化の取り組みを学びに行きました。

旭川市の場合は、丸井旭川店が撤退、イオン進出の一方で、西武が撤退とするという複雑な状況で、まだ中活が成功しているという状況には至ってない様子。一方、富良野市は地元の商工会所属の複数の経営者がリーダーシップを握り、民間と市民が主導でまちづくり会社を運営し、イベント型事業としてマルシェ(店頭即売販売)の成功などで、活気を取り戻しています。その証拠に、北海道内で地価をあげている3つの自治体のうちの、富良野市はその1つになっています。成功のカギは、行政が民間と市民の取り組みをバックアップすることに徹していること。街の活性化事業を成功させるカギは、地元の地権者、経営者、市民が主体的に「本気」になって、中活を成功させる気概があることを実感しました。2020年のオリパラにむけ、「府中らしい中心市街地」の賑わいをどう発揮させるのか、私も大いに研究し、議会でも取り上げたいと感じています。

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17 11月

府中市多磨町の歴史・・行政権力に対する反骨の歴史を刻む街

今朝(17日)は朝、西武線多磨駅であいさつ。さて私の活動地域のひとつに、府中市の北東部地域があり、そのなかに多磨町があります。府中市施行以前(S29年)は、多磨村という自治体でした。その中心地としての多磨町は、今も武蔵野の面影を残し、緑と歴史を感じさせてくれる街です。多磨町は三鷹市や調布市、小金井市などに隣接する地域で、代表的な施設として大正12年には多磨墓地が建設され、政財界や文化、スポーツ界などで活躍した著名人が今も眠っている一大墓地。「多磨町の歴史」(H4年、多磨町会発行)を読みましたが、感想を言えば、府中市のイメージ(大国魂神社を中心とする武蔵国府がおかれた歴史)とはまた違う、多磨村独特の奥深い歴史を知ることができます。

この書籍によれば、江戸時代は多摩川の洪水との生死をかけた住民のたたかいに始まり、戦前はこの地に調布飛行場が建設、戦後の一時期、それは米軍基地へと姿を替えました。この多磨町には「おおいやま地区」と言われた地区があり、大変痩せ細った地でありましたが、終戦後の厳しい食料難のために、食料補助の目的で小規模開墾が始められたそうです。さらに昭和30年代に入り、調布(二枚橋)塵芥(じんかい)焼却場建設の反対運動に始まり(S31)、おおい山地区を東京都が武蔵野公園用地として事業決定されたことに対する反対運動(S32)、新人見街道建設の反対運動(S37)など、住民の意向を無視した行政権力に対する、反骨のたたかいの歴史が、この多磨町に刻まれていることも知りました。

私は今後も、多くの住民の方々からお話しをお聞きして、多磨町に住む人々の思いを受けとめ、多磨町をはじめとする、旧多磨村地域の発展のために、一人の議員として貢献する決意を新たにしています。

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